

創業100年の歴史
history
aboutモックリーについて
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1世紀の軌跡、明日へ繋ぐ
大正10年2月16日。当社の前身である「日本舗装道路株式会社」を東京に創設し、木材防腐事業を開始したのがその歴史の始まりです。
翌大正11年8月には本社を名古屋市に移転し、現在の「大日本木材防腐株式会社(DMB)」と社名変更。社名に表されている通り、“防腐”というコア技術を活かした「防腐枕木」や「防腐電柱」といった保存処理木材を世に送り出していました。

名古屋工場内の様子
(昭和20年代後半〜30年代初頭)

創業当時の本社(大正10年)

名古屋工場内の様子
(昭和20年代後半〜30年代初頭)

創業当時の本社
(大正10年)
戦前から戦後の混乱~復興期の最中、国内拠点を順次増やし業務を拡大。特に防腐枕木や防腐電柱は、インフラ整備というまさに“国造り”の根幹的な役割を担うものであったため、当社も国家の発展とともに着実な成長を遂げました。そのような中、昭和24年5月には名古屋証券取引所取引開始と時を同じくし証券市場に上場しました。(平成29年3月MBOにより上場廃止)

名古屋工場内の様子(昭和20年代後半〜30年代初頭)
昭和40年代半ばに入ると住宅ブームが始まり、50年代には住宅金融公庫融資の拡大、2×4住宅の普及などの追い風もあり、当社の木材保存技術が新たなる市場である住宅分野にも求められるようになりました。昭和58年8月には木造住宅プレカット事業にも進出しました。また、これらの保存処理を施した「防腐注入木材」のニーズは住宅のみにとどまらず、アウトドア施設・公園施設・海上コンテナの床板等々へとその市場を広げていったのです。
その後も、事業所・営業所といった拠点ネットワーク拡充に努め、平成元年には西部流通センターを新設。平成30年9月にはウッドデッキやエクステリアなどのインターネット通信販売会社である株式会社リーベを子会社化し、拡大しつつあった木材のネット通販というEC機能を強化。製造加工はもちろんのこと、流通・施工・研究開発…。こうした多様な部門を自社内に有することで、トータルな木材供給のスペシャリストとしての成長を目指してきたのです。

名古屋工場内の様子(昭和20年代後半〜30年代初頭)

名古屋工場内の様子(昭和20年代後半〜30年代初頭)
環境適応こそが歴史を創る
次代を見て進化し続ける
私たちは、時代とともに技術や価値観が激しく移り変わろうとも、常に変化に対応し社会と共に歩む「環境適応企業」目指しています。変化を恐れず変革を続け、未来を見つめていく企業でありたい。こうした想いとともに培ってきた木材供給システム、また木材保存システムが今日まで社会に必要とされ、時代とともに成長できましたことは、皆様方の温かなご支援の賜物にほかなりません。
今後とも、より確かな「木材のスペシャリスト」となるべく、モックリーの総力を結集し、一層の企業努力を続けることで、さらに皆様のご期待および社会全体の発展に寄与してまいりたいと存じます。

飛躍への扉
本社ロビー奥に鎮座するモニュメント。直径約2m、推定重量2.3tの巨大な鋳物は、創業からおよそ10年を経た1930年に製造され、平成まで使われてきた加圧注入管の扉です。中央部には当社の通称「DMB」が刻まれ、いぶし銀の存在感を放っています。当時では珍しい高圧注薬缶(20kgf/㎠)で、全国各地から多数の見学者が来られました。豊かな国造りの一翼を担う当時の大日本木材防腐株式会社を知り、そして今日に至るまで様々な環境変化に適応し続けてきた変遷を知る証人であります。当社では、進化の証であるこのシンボルを「飛躍への扉」と名付け、礎を築いた先人に今後のさらなる成長をお約束いたします。

「飛躍への扉」モニュメント